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『天龍寺弦』の作品一覧

ヤクザ抗争史に名高い”山一抗争”の中、一和会の襲撃により四代目組長・竹中正久を喪った山口組は未曾有の大きな危機を迎えていた。しかし、そのさなか行われた山口組定例会の席上において、本部長・岸本才三が力強く放った一言は、列席した幹部の面々に衝撃と希望をもたらした。「山口組は本日より、心強い味方を迎えます! 北海道の...
「一日三回、ケンカしろ! 国を背負ってケンカしろ! …そして、国を相手にケンカしろ!」ヤクザの代紋を欲せず、強者にあって富を求めず、アウトローの新たなスタイルである『愚連隊』を確立し、戦前の新宿を制した無頼のカリスマ・万年東一! その類まれな人間的魅力と無敵の腕っぷしで町場のワルどもをシメ、戦地で最前線の修羅場...
昭和21年(1946年)広島。原爆の惨禍から立ち直りつつあった街に、一人の男が不敵な眼光を発しながら現れた。山中光治(やまなか・みつじ)――当時、闇市を仕切っていた村上組二代目・村上正明との因縁を機に、博徒・岡組組長の岡敏夫(おか・としお)の下で、暴力と抗争うず巻くヤクザの世界へと足を踏み入れていった光治だった...
昭和17(1942)年。戦火は中国大陸から米国をも巻き込み、日本がいよいよ世界を相手に泥沼の戦争へと突入していった時代――横浜では「モロッコの辰」こと出口辰夫(でぐち・たつお)が、ナンバーワンの愚連隊としてその名を轟かせていた。その勇名に反して意外なほど小柄な体格の辰夫だったが、度胸のよさと腕っぷしの強さ、そし...
昭和19(1944)年、第二次世界大戦において、大西中将の発案により特攻が採用され、「特攻隊」が編成された。最初の作戦で素晴らしい成果をあげた特攻は、以来正規の艦船攻撃法として固定されることになる。…が、それは悲劇の始まりだった。航空機に爆弾を積載し、搭乗員もろとも敵艦に突入するという人間爆弾のごときその戦法は...
坂井三郎――神の目を持った”大空のサムライ”! 笹井醇一――軍鶏と呼ばれた”ラバウルの貴公子”! 岩本徹三――撃墜数202機!不世出の最多撃墜王! 西沢弘義――奇跡の宙返り!伝説のパイロット!! 杉田庄一――死地をさまよった悲劇のエース! 第二次大戦時、世界最強とうたわれたゼロ戦(零式艦上戦闘機)を駆り、縦横無...
加藤隼戦闘隊――いま、この名称を知っている人が一体どれだけいることだろうか? 第二次世界対戦当時、この名を聞いた味方は沸き上がり、その姿を目にした敵は震え上がったという。当時決して高性能とは言えなくなっていた「隼(はやぶさ)」を操っての、撃墜283機・地上撃破144機という戦果は驚異的と言う他ない。個人ではない...
昭和25年(1950年)1月18日午前3時、広島県呉市。呉警察署の捜査員一行は、殺人容疑で手配だった『悪魔のキューピー』こと大西政寛が潜伏しているとの情報を受け、暴力団・山川組関係者宅を包囲した。大勢の警官たちがなだれ込むと、果たして大西の姿はそこにはなく…かと思いきや、コタツの中に身を潜めていた大西が姿を現す...
昭和5年(1930年)・春、石川県七尾市。七尾商業高校に、「ケンカは七尾で一番、剣道の腕でも部長とタメを張り、酒も底なしの大酒豪」と評判をとる1年生がいた。その名を浜本政吉(はまもと・まさきち)――そのバカ強さから自ら“バカ政”と名乗ったこの男こそ、その持ち前の腕っぷしと気風のよさで、のちに東京・銀座でみるみる...
昭和33(1958)年2月10日深夜。大阪飛田新地――日本の暴力地図を一気に塗りかえた伝説の大激闘の幕が切って落とされた。当時、やくざ者でさえも恐れをなし震え上がった凶暴集団・鬼頭組の荒くれ者100人に対し、たった8人で斬り込んだ男たち……それを率いたのが、”マテンの黒シャツ”こと柳川次郎であり、この日本の暴力...
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